歌い手が感じた、カラオケでモノマして歌うと普通に歌うのに苦労する。そこに隠された本質




どうも、こんばんわ。

昨日、更新しなかっただけで焦りを感じているオレクヤンでございます。
(体ついてこんかったぁぁぁぁw)

本日は、元々シンガーソングライターを目指していた俺が、ある時ふと感じた事がありました。それについてちょっと深く考えてみたら、本質的な事がわかった気がしたので、この先での参考にしてみようと思い、備忘録も兼ねて綴って行きます。

歌う事だけがすべてではない。

実際に俺は、売れないながらもステージにたって自身の歌を恥ずかしさもなく、むしろ自身満々に歌っていました。

ステージにたって思った事があるのですが、歌うだけでは意味がないという事。

勿論、歌に素晴らしさがあれば充分という人も多くいるのだと思うのですが、語りや笑いもあってファンがついたりしてしまう事も多くあります。

ステージはステージングがものをいうのです。

歌が最高に上手くて、声も最高。おまけに容姿も整っている人がしっとり歌っても、歌っているだけではなくて、無意識でも手が動いたりステージングを意識しているはずなんです。

そこに、無理に俺はお笑い芸人でもないのに、笑いが欲しくてほしくて仕方なく、笑いが出るようにしていました。

ステージングを工夫するために

ステージングを工夫するのは、良し悪し関係なく考えれば容易です。

でも、やっぱり一人でもお金を払って見に来てくれている人がいるならば、良いものにしていかなくてはいけません。

それは、笑いなのか・悲しみなのかなど、焦点を考えてステージで活用しなければいけません。

俺はたまたま笑いに焦点を開けたことによってモノマネをしていました。

少しでも笑いも取りたい。

本当に少しでも笑いが取りたくて、必死になって歌い方などを見まくっていました。

すべてはステージングのためにです。

言葉の言い回しや、身のこなしかたなどを俺の出来る最大限を出していました。

モノマネをやってみるとウケた。

カラオケなどで、試しにやってみると意外にもウケてくれる人が多数いました。

勿論、俺のなりを知っている人達なので、俺がモノマネするなんて想像もしていなかったという人も多く、人柄なども出た結果ではあるものの、ウケた事に間違いはなかったのです。

モノマネがスベった。

カラオケでは爆笑をかっさらっていった俺が、ある時職場の飲み会などでカラオケにいった際に、同じモノマネをしたら、案の定スベったのです。

その時の俺の必死な抵抗を自分でも恥ずかしく思います。

普通に歌うことが出来ない。

モノマネを必死にやっていたせいで、そのモノマネした曲では自分の声質で歌うことができなかったんです。

モノマネで始まって、数秒でスベった俺は諦めて普通に歌おうと切り替えたのに、切り替えられないという状態に、、、

癖が抜けない。

モノマネを少しでも面白くしようと、癖を意識しておまけに大げさな感じで歌っていた事もあって普通に歌うようにしても、語尾を無駄に切ったり癖がすぐ抜けなくなってしまいました。

なんという状態。

普通に歌いたいのに、声が変わらない。
変えようとするとまともに歌えないんです。

最後までスベる。

おかげで、最後までスベって、シーンとして終わりを迎えました。

マジトイレに逃げ込みたかったぁぁ。

あの何ともいえない雰囲気。
周りが俺を嘲笑っているのではないかという恐怖。
次に歌う人が気をつかっているのではないかという感情。

身を隠していたかったのは、いうまでもありません。

これぞ、地獄絵図。

そこからわかった本質。

ただ、その経験からわかったことがありました。

あくまで俺が感じた本質ですが、少なくともカスッてはいるのではないかと思う。

実際に、他の事でもそう感じたので、それを綴ってみようと思います。

慣れと癖ほど恐ろしいものはない。

慣れや癖って本当に恐ろしいものです。

車の運転も慣れてからが危ないとよく聞くが、ごもっともです。

習慣的にモノマネをしていた俺が、いざモノマネをやめようと思っても癖づいてしまって何も出来なくなったしまいました。

俺の力量の問題もあるのかもしれないし、中途半端だったのかもしれない。

それでも、習慣を変えるというのは、人にとってかなり力技な所があるという事がわかった。

臨機応変が効かなくなる。

モノマネではないのですが、一時期ボーリングにハマりまして、いかにボールを曲げるかに焦点をあてて投げ続けた事があります。

それがまぁ上手いこと行きまして、スコアが格段にあがりました。

そこまではいいんです。
ボールを曲げる事に焦点を当てすぎて、今度はまっすぐ投げれなくなってしまいました。まっすぐ投げても、軽く曲がってしまうんです。

だから、ボーリングのレーンって癖があって、ボールに曲がる回転をかけると無駄に曲がりすぎてしまうレーンもあるのですが、そういう時に臨機応変がきかなく、終始ガーターばっかりという事がありました。

癖の工夫が、自身を変える。

その癖っていうのも、実は大事な事だとおもうのです。

癖をいくつも作ってしまうのが、一番いいと思いました。

モノマネをしてスベったから、変化をかけて元の自分に戻す癖をつけていれば回避できたのです。

それが、いかに大事かということです。

一つの物事には、多くの癖で成り立つ事も多くあります。
ある一人の癖のせいで、仕事が回る事があれば弊害が起こることもあります。

ならば、いくつのも癖にバリエーションをかけて身につけると、癖から癖であっても結果的には、相手側からすればそれは変化になるという事です。

癖も身につけ方を工夫するだけで、煩わしさは消えるのではないでしょうか?

結果、良くも悪くも成長してしまう。

癖を出してしまうという事は、良し悪し関係なく何かを身につけているという事になります。

これって実は難しい事だと感じました。

緊張すると歯ぎしりをする癖があったとした場合。
良し悪しはなしとして、歯ぎしりを身につけたんです。

いままで、まともできなかった事をやれるようになったんです。

まとめ

癖=習慣という考えができれば、しめたものです。

癖って体の事とかを想像してしまいがちですが、仕事終わりに手帳を開いてしまうなども癖の部類になりえます。

なら、良いことを癖づけようと思えば、それは習慣にもなり得るという事です。

毎日ブログを更新するという事を念頭にいれたら、

毎日食後にキーボードに触れるなどの癖づけをすれば、習慣になるのではないでしょうか?

考え方一つでどうとでもなるとはこの事です。









 

デグーを愛するはゆま

 

似たような高みを目指す同期ブロガー。
やり取りすると、かなりファンキーな気がするけど、どんどん優しい人柄が垣間見えて来ます。

デグーに関して詳細に記事を書いていたり
仕事の悩み、くすっと笑える記事など多方面に文才を発揮しています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です